は じ め に | 津なぎさまち | 生徒会誌に投稿 | ぐるっと津めぐり | 高 田 本 山 |
北 畠 神 社 | 地 域 の 紹 介 | 活性化をめざして1 | 活性化をめざして2 | ト ピ ッ ク |
2006.12.6 新しい津の町が観光客で賑わう・・・それは夢の世界でもなかなか難しい。 しかし500年前には「日本三津」とよばれ、日本でも有数の大きな港町として発展、また江戸時代には藤堂高虎32万石の城下町として、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と伊勢音頭にうたわれ、参宮に行き交う宿場町として賑わい、大きな安濃津城の近くでは休息をとる旅人も多かっただろう。 明治時代には津偕楽公園にて博覧会を開催、多いときには1日の入場者数が津の人口を上回る観光客でいっぱいになったという。また大正時代から戦前にかけては日本最大の紡績工場である東洋紡績津工場が船頭町にあり産業の面でも活気のある町並を形成してきたが、戦後は静かな町になってしまった。 「歴史は繰り返す」という言葉があるが、なにかのきっかけから津の町は昔の賑わいを取り戻す気がしてならない。 2006.12.15 青森県田舎館(いなかだて)村では「田んぼに巨大なアートを創ろう」をキャチフレーズに水田をキャンパスに、毎年1000人を超える参加者が田植を行い、古代米と現代品種の「つがるロマン」の苗を用いて浮世絵などを描いている。 このことをヒントに「新津市」でも2008年春をめざして旧10市町村に1ヶ所ずつフラワーアートを創る、すなわち春に咲く草花でフラワーアートができないものだろうか。 春に咲く草花はキンギョソウ、パンジー、プリムラ・ポリアンサ、ガザニア、シクラメン、そして菜の花、芝桜などがあるが、フラワーアートにするにはたとえば赤色の花ならばその花全体が赤くみえるのが望ましく、緑色の葉などが表面に表われるのはよくない、このあたりが克服すべき大きな課題であろう。葉が赤くなるポインセチアもよいと思うが冬の花であるし・・・ 旧10市町村に1ケ所ずつ高い建物、高台の近くにフラワーアートを創り、早咲きの花、遅咲きの花また地域も考慮して3月には10ケ所のうち5ケ所をめぐるバスを津駅前や津なぎさまちから運行し、結城神社のしだれ梅も立ち寄ることをPRすると、県外の観光客にも目にとまるようになるような気もしてくる。高い建物、高台の代わりに高架道路の歩道、また仮の歩道橋を造ってその上からフラワーアートを眺めるようにしてもよいと思う、しかし近い距離からフラワーアートを眺めると土や緑色の葉が見えたりするので、密集して草花を植えなければならない、すると草花の手入れが難しくなるし・・・、草花なので繊細な絵を描くことができないかも知れない、しかし現代の花の栽培技術からして、何かいい名案があるのではないだろうか。 また4月には10ケ所のうちのこりの5ケ所と日本さくら100選に選ばれた三多気の桜も・・・と考えると、新しい津の町が観光客でいっぱいに・・・。草花の植付け、管理は地域の人々にお願いしたり、またひまわりで巨大迷路も考えられるが、春にひまわりは咲かないし・・・、フラワーアート5ヶ所同時開催ということだが、花がそのように開花するだろうか。 また原画は花と色を指定して小学生から公募したり、また公募でなくても小学生に何がよいか考えてもらったり、フラワーアートのいくつかは近鉄やJRの沿線沿いに創り、乗客が電車や列車の窓から眺めるということも考えられる。またフラワーアート5ケ所と高田本山(庭園、寺内町散策、精進料理)、北畠神社(上多気町並散策、庭園、山菜料理)、青山高原の風力発電、3月には結城神社のしだれ梅、4月には三多気の桜、そしてローカル線の名松線乗車体験、宿泊は日本三名泉のひとつである榊原温泉と火の谷温泉、このように本格的なバスツアーも考えられるが、すこし夢の世界に入りすぎてしまった。 2006.12.21 津に関するあるホームページの中で、「安濃岩田運河」の新設の構想があることを知った、このことについては市民にはほとんど知られていない。中勢バイパスと高速道路の間で、地図で計測してみると運河は櫛形近くから南に直線距離にして800mである。 地図をよくみると運河を計画している近くに岩田川と安濃川をつなぐ三泗川の存在を知り調べてみた。三泗川と安濃川は小さな暗渠で結ばれており、小川というより農業用水路だった、しかし岩田川との合流地点では川幅も広くなっていた。 安濃川にかかる中勢バイパスの橋の上から南のほうを眺めてみたが(写真)、メッセウイングみえも近くにあることから、中勢バイパスの西側より東側に運河を計画したら・・・、安濃岩田運河は岩田川の浄化にもつながる。 運河の土手には桜並木、また安濃川近くに小公園を造って、茅葺き屋根の家を建て、運河から引き入れたせせらぎ、五連水車、小さな池、ボート、アヒル、カモとのふれあい・・・などいろいろなことが考えられる。 もみじやかえで、いちょう、ななかまど(津ではあまり見かけない)などの樹木を中心に公園を造れば、紅葉のシーズンには公園全体が赤や黄色に染まり、また春には運河の両岸に桜が咲き、「津市の新名所」として熊野古道や伊勢神宮に行った多くの観光客が伊勢道・津インターから5分の「安濃岩田運河」に立ち寄るかもしれない。 2006.12.28 高田本山専修寺の御影堂は歴史的建造物としては全国で5番目に大きな木造建築として知られ、平成20年完成をめざし傷んだ個所を解体、修復する「半解体修理」が行われている。また専修寺を中心に発展した一身田寺内町は、環壕(かんごう)などで防御されていた、環壕がほぼ完全に残っているのは全国的にも珍しい。 1月になると本山の大きな行事の一つであるお七夜が始まるが、かつてはこの時期になると全国から多くの観光客やお参り客が高田本山を訪れ、大正時代には本山近くのJR一身田駅では乗客の安全を図るため、ホームを地下道でつないだり、また臨時列車も運転されたときもあったが、最近ではお七夜にくる観光客も減少の傾向にある。 本山内には回遊式庭園もあり、また寺内町にはまちかど博物館もあり、休日には寺内町を散策する観光客の姿も見られるようになってきた。平成20年には御影堂の修理が完成するのを機会に、庭園、環壕、寺内町の町並の整備など難しい問題もあるが、本山ならびに寺内町周辺の「賑わうまちづくり」を進めてもらいたい。 2007.1.5 1月5日、夕方の国道23号線は名古屋方面に向かう車で渋滞している、伊勢神宮を参拝して家路に急ぐ車が津を通過している。新しい津の町は旅の通過点であってはならない。 2007.1.15 津市北部の山中に、産業・高次都市・居住の各機能を有する新都市として、「中勢北部サイエンスシティ」の開発が行われてきた。 先端的産業の研究開発から生産、物流の一貫した産業活動を可能とし、かつ職住近接、企業間の交流、身近なスポーツ・レクリエーションなど多様な機能が一体となって連携しあう、潤いある魅力的な都市空間を創造するということであるが、企業の誘致や住宅の建設が進んでいるが、まだ広い土地が空き地として残っている。 バブル期の負の遺産ということであろうか、詳細についてはよくわからないが、ここに大企業ならびにその関連する企業の進出があれば、新しい津の町は産業の面でも活気のある町並を形成していくだろう。 戦前までは(もう戦後62年が経過したが・・・)津の町に日本最大の紡績工場もあり、産業を受け入れる素地はできているということを付け加えておこう。 2007.1.16 このホ−ムページへのアクセスは最近では平均すると1日3件、あまり人気がない、しかしsub4(高田本山)へのサイトには今年になってから多くの人が訪れるようになってきた。 1月9日から16日まで行われるお七夜について検索しているなかで、このホームページをみた人もいただろう。窪田の常夜燈、環濠、JR一身田駅の地下道などに関心をもった観光客もいたかも知れない、また街路灯の下に掲げられている伊勢弁で書かれた小看板「ホッ!とするに 一身田」が目にとまっただろうか。 2007.1.19 津なぎさまちから津の繁華街である大門や三重会館へはフェニックス通りがあり市民によく親しまれているが、たとえばフェニックスの代わりに道路の中央部に中道を造り桜並木を・・・(こういうことは無理な発想であるが) もし仮に実現できたら大門や三重会館から津なぎさまちへの2kmが市民の憩いの散歩道になると思う、また歩道にはツツジや梅も植えて・・・ 2007.3.20 津は古くは安濃津と呼ばれ、港町として発展してきた。 今から400年前の中国明代の歴史書には、安濃津は坊津(鹿児島県南さつま市)、博多津(福岡県)とならんで「日本三津」のひとつであると紹介されている。ところで「日本三津」とは中国からみた三つの重要な港を意味し、中国との貿易港のひとつとして機能していたと考えられる。 すると本州からただ1つ選ばれた安濃津は本州の流通の拠点として荷揚げなど港湾関係者であふれ、荷物を一時格納する倉庫も立ち並び、荷物を運搬するなど港町として活気のある町並を形成してきた、 その当時の港は柳山から結城浦のあたりで安濃川がそちらのほうに流れ込んでいたという、砂洲が遠く海に突出し、天然の良港だった、その砂洲は「安濃の松原」と言われていた。しかし残念なことに500年前の明応地震(1498年)により港が陥没し壊滅的な打撃をうけ、それ以後貿易港として復旧されることはなかった。 さて鹿児島県南さつま市のホームページには次のような記述がある。黒潮が岸辺を洗う坊津町は、むかし唐の港と呼ばれ、伊勢の安濃津、筑前の博多津とともに日本三津とうたわれました。また昔貿易港として栄えた坊津の文化遺産や民族資料を展示してある坊津歴史資料センター輝津館(きしんかん)がある。また博多には博多港ベイサイドミユージアムや福岡市博物館もある、津も歴史資料館を創ろう。 2007.4.21 インターネットのニュースで、「東京のオフィスビルでは芝桜が満開、ピンクの芝桜と新緑の木々のコントラストが広がり・・・」、また今日の新聞には「兵庫県豊岡市では10万本のチューリップを使ってコウノトリのフラワーアートが満開・・・」が掲載されていた。このフラワーアートは赤や白など5色約10万本のチューリップを使って、縦約70メートル、横約30メートルの中に3羽のコウノトリを表現、来場者たちはヒノキの間伐材で組まれた高さ約4メートルの展望台に上がり、「コウノトリ」をバックに盛んにシャッターを押していた。津もこのようなフラワーアートを計画したら・・・ 2007.5.1 大型連休に入り国道23号線は夕方には名古屋方面に向かう自動車で渋滞、その多くは伊勢志摩や南紀の観光の帰りであろう、津は旅の通過点であってはならない。 2007.6.15 海の玄関口である高速船のターミナル津なぎさまちから津大門商店街,三重会館、津市役所、三重県庁、博物館、陸の玄関口であるJR近鉄津駅、美術館を経て総合文化センターに路面電車を建設しようという計画は、あまり知られていない。 路面電車の線路は道路の中央になるのだろうか、また停留所はどこに、市電の車両はどんな形に・・興味津々というところだろう。 2007.6.22 「津が活気のある町に」という言葉はときどき聞くことがあるが「津が賑わう町に」と言う人はきわめて少ない。 10月に行われる津まつりには2日間で35万人の観光客が押し寄せ、普段は閑散としている商店街や津観音周辺は人でいっぱい、路線バスも超満員の盛況、また7月の花火大会にも毎年12万人が阿漕浦海岸で花火を楽しんでいる。 「津の町はイベントのときだけ賑わう」ということを聞いたことがあるが、「どうしたら津は賑わうようになるだろうか」ということを考えてみた。広域合併により新しく津の町が大きくなったが、旧10市町村で1ヶ所ずつたとえば休耕田などを利用してフラワーアートを考え、春に咲くいろいろな花でフラワーアートを創り、それを見学するため津駅や津なぎさまちから1日コースのバスを運行する。草花を植えたり、また花の手入れなどは地域住民もボランティアとして参加することが容易であろう。 10ヶ所のフラワーアートをまわるのは大変だったら、早咲きの花と遅咲きの花や地域性を考慮して、10ヶ所のうち5ヶ所のアートと近くの名所旧跡を探索するとか、名松線の乗車体験をしてローカル色豊かな比津駅で記念写真を撮るなどの企画をアピールしていけば、県外の観光客にも知られるようになり、しだいに新しい津の町は観光地への道を歩みはじめるだろう。 2007.8.7 朝早くから自動車で美杉町に出かけた。まず一志温泉近くに咲く大きなヒマワリ畑で休憩、歩道からヒマワリを見下ろす位置にあるのでヒマワリの迷路はできないが、フラワーアートには最適の場所であると思った。 次に白山町の家城神社境内にある霊泉・こぶ湯は白い湯の花と硫黄の香りが高く、毎日多くの人がお湯をくみにきている。美杉町上多気の集落では筆太に「すぐいせ道」と彫られた道標があり、かってここに伊勢本街道が通っていたことを示している。君ガ野ダムの公園で休憩、帰りには奈良と伊勢を結ぶ初瀬街道の「垣内宿」に立ち寄った。江戸時代には垣内宿は伊勢神宮におまいりする人で賑わい、旅籠は70戸以上、300人も宿に収容できたという。 きれいな水が流れているが川遊びする子供たちの姿も少なく、また観光客の姿も見当たらなかった。
2007.11.10
2008.1.4 国道23号線は夕方から名古屋に向かう車で渋滞している。その多くは伊勢神宮や南紀の観光を終え家路に急ぐ自動車であろう、新しい津の町は観光地からの通過点であってはならない。 2008.1.14 好天に恵まれた1月14日(成人の日)午前11時津駅に車で立ち寄った。しかし観光客の姿はなかった、観光客はどこに行っているのだろう。 2008.2.29 インターネットをみていたら津市内の観光地、結城神社のしだれ梅と三多気の桜のバスツアーを見つけた。 三重県・奈良県ツアー ≪3/2出発確定≫月ヶ瀬梅渓梅まつりと結城神社しだれ梅 名古屋駅(8:30発)〜東名阪〜月ヶ瀬梅林(梅まつり自由散策)〜上野(昼食)〜名阪道・伊勢道〜津・結城神社 (しだれ梅)〜伊勢道・東名阪〜名古屋駅(18:45頃着) 出発地:近畿(兵庫県) 目的地:三重県/奈良県 旅行日数:1日間 設定期間:2008/4/3〜2008/4/11 〜あまり訪れることのない桜の隠れ里へご案内〜 ♪奈良県南部、大宇陀・榛原地方は知る人ぞ知る枝垂れ桜や山桜の銘木がある地、また奥伊勢地方美杉町・三多気(みたけ)は関西ではまだまだ余り知られていない桜の隠れた名所。 今回、参道の狭い寺院や山中の隠れ寺に小回りの効く中型バスでご案内いたします 高槻(7:10集合/7:20出発)-枚方(8:00集合/8:10出発)-★大宇陀・本郷の瀧桜(別名「又兵衛桜」と呼ばれる樹齢300年のしだれ桜)-★仏隆寺の桜(樹齢900年奈良県最大最古のヤマザクラの老樹・国の天然記念物)-☆室生寺(国宝拝観)-★三多気(約1.5Kmにわたり続く2千本もの山桜の桜並木は圧巻のひとこと)-枚方高槻(18:00〜21:00着) 2008.6.5 新聞に私の投書が掲載された 2008.6.16 最近近くの海岸で貝とりに熱中するようになった。今日は干潮の2時間前に海に行ったが、中潮ということもあり誰も海にはいなかった。平日の朝から潮干狩りをしていてもいいのかなぁと思ったりした・・・ 休日で大潮の時期と重なるとそう多くはないが県外からも自動車でやってくる、広い砂浜には松林もあり美しい海岸であるが、遠浅でないのと駐車場が近くになく車は路上駐車をすることになる・・・ 2008.7.12 津市内にあるJR阿漕駅と高茶屋駅間は4.1qあるが、この両駅の間に新駅ができたら・・・という話を聞いたことがある。最近は宅地化が進み以前は田畑だったところに住宅が建設されている。 新駅といっても小さなプラットホームがあればいいのだから難しいことではない、なにも新駅ができたから観光客が来るというものでもないが、津駅に行くのにバスで20分以上かかるのだから、この付近の住民ににとってはなにかと便利になるだろう。 2008.8.7 このホームページへのアクセスは1日平均3件と少ないが、最近は3件を下回るときもある、一度見れば十分、夢を追っても・・・、こんな考えもあるのかなぁなど感想を持つ人も多いことだろう。 津の町は津駅から名古屋へはJRや私鉄を利用すると50分、また津なぎさまちから中部国際空港まで高速船で40分、気候は温暖、道路も広く、大きな病院もあり住みやすい町だ、ただ観光地への通過点になっているのが1つの課題である。
2008.11.22
2009.1.11 高田本山専修寺の開山、親鸞聖人の命日を中心にした行事で正式には報恩講(ほうおんこう)という。7日間にわたることからお七夜と呼ばれ全国から大勢の信者や参拝者がおとずれる。 今日の本山は好天に恵まれ日曜日ということもあり、多くの観光客などでいっぱいだった、ところで途中に出会ったお年寄りが道路沿いの出店をながめて、「せとものの店は少なくなったね」という言葉が印象に残った、そういえば昔はお七夜の時期がくると家族の茶碗や皿などをたくさん購入したものだった。 2009.3.26 今年はじめて潮干狩りに近くの海岸に行った、干潮1時間30分前に海岸に到着したが、すでに安濃川河口近くには100人以上いて貝取りに夢中、水ぬるむ3月とはいえ、海の水は冷たかった。 2009.5.30
2009.7.17
津城の復元に賛同する多くの市民から寄付を集め復元への一歩にしたい、1年間でできるものではなく10年以上かかるかも知れない。 なにも大口の寄付を集めなくてもいいのだ。 2010.1.18 いままでこのホームページに動く文字や画像を取り入れてきたが、都合により動かない文字や画像に変更した。 2010.2.21 このホームページを立ち上げてから早くも6年が経過しました。現在アクセスは1日平均3人ですが、「津がにぎわう町に」という夢を追いかけています。
2011.5.30 町屋再発見・・・私が住んでいる栗真町屋町周辺をカメラウオッチングした
2011.6.2 江戸の面影を今に残す歴史の町・川越(埼玉県)を散策した
2011.6.5
2011.6.22 JR紀勢本線・阿漕〜高茶屋間に駅を新設しよう 津市藤方にある福祉施設にボランティアで訪問するたびに思うことだが、どうして阿漕〜高茶屋間(4.1km)に駅を新設する運動をしないのだろう、この近くには大きな工場、御殿場海水浴場、津競艇などあり、また団地もあり乗降客は多いと思われる、かつて新駅の話も浮上したのに・・・ 2011.12.13
2012.3.27
2012.11.29
2013.6.9
2013.7.1
2014.5.28
|