は  じ   め  に  津なぎさまち   生徒会誌に投稿   ぐるっと津めぐり  高  田  本  山
北 畠 神 社 地 域 の 紹 介 活性化をめざして1 活性化をめざして2 ト  ピ  ッ  ク
               

               

 
   2004.3.25
3月23日から3日間、フリー切符でいろいろなところにでかけた。
1日目は小説「潮騒」の舞台になった神島と、椰子の実でよく知られた伊良湖岬、2日目は郡上踊りで有名な郡上八幡、3日目は犬山にある明治村へ行ったが、春休みにはいった割りには観光客が少なかった。もちろん津はもっと少ないが・・・
伊良湖岬の恋路が浜には新しく遊歩道ができ、波打ち際には大きな石を敷き詰め超デラックスな遊歩道から、大形船舶が行き来するのが見える。また郡上八幡では近くの吉田川から水を引いた「いがわの小径(こみち)」が特に印象に残った。
津も来年の2月には港が新設されるが、港の周辺には遊歩道や小さな川などつくり、散策できるようになればよいと思った。


2004.4.22
「津の町が観光客で賑わう町に」との夢を私が語りかけると、みんなびっくり、「何人で活動しているの」の問いに「一人でがんばっている」と答えると、質問した人は下を向いてだまってしまった。
津は古代から室町時代にかけて港町として発展、江戸時代には藤堂高虎32万石の城下町としてまた参宮街道の宿場町として繁栄してきた。また明治時代には博覧会を開催し、一日の入場者数がその当時の津の人口より多かった時もあったという。津の町は全国からやってきた観光客でいっぱいになったことだろう。また戦前は繊維工業の町として発展、毛織工場や整毛工場もあったが、とくに東洋紡績津工場は全国有数の大企業であった、しかし第二次世界大戦で爆撃を受け破壊されてしまった。
このように津は活気のある町として繁栄を続けてきた。しかし戦後は住みやすい町として発展してきたが観光面では常に後まわしにされてきた、そして静かな町になってしまった。
私はなんとかして昔のような賑わう津の町にそして観光客でいっぱいに・・・という夢を描いている。

2004.5.23
高田本山の商店街のお店に本山のポスターが貼ってあったので、「御影堂が完成したら、いろいろな行事があるんでしょうね」と聞いたら、「それはあるでしょう、多くの参拝客が本山を訪れるでしょう」とのことだった、さらに「御影堂の中にはどんな仏像が安置されているの」と聞いたら、店の奥から「この本を読んで」と、一身田寺内町の冊子を持ってきてくれた。
その冊子によると御影堂には中央に親鸞聖人の木像と両脇に歴代上人画像を置く堂で、外観は純和様で温和だが、内部は金襴巻きの柱、極彩色の天井、丸彫の欄間など当時の装飾技術の粋を集めたものになっている。
1873年(明治6年)には一身田地区で博覧会が開催されているので、御影堂が完成する2008年(平成20年)には高田本山と、新しく出来る津港、城址公園、偕楽公園、津観音付近にパビリオンを建て、博覧会を・・・・・・・・・・ああ、また夢の世界にはいり、およそ実現できないことを考えてしまった。


2004.6.6
先日バスツアーで浜名湖花博へ行って来た、平日にもかかわらず大変な賑わいだった。
浜名湖の自然と新緑、美しい花がいっぱい、いろいろなパビリオンをみて、楽しいひとときをすごすことができた。ただ「花とみどり未来館」の「青いバラ」を見るのをわすれてしまった、青いバラといえばブルームーンが知られているが、新種の青いバラはもっと透き通った青だろうか。
「このような博覧会を津でも開催したら」と、いつものように思ってしまったが、ただ津の郊外で博覧会を開催しても「津の活性化」には直接は結びつかないのではないか。それよりも津の中心に観光客をひきつける魅力あるなにかがあったら・・・、その魅力あるものとはどんなものだろう。


2004.6. 23
インターネットの検索で「町おこし」と入力したら10000件以上の内容が表示された、各地で町おこしが盛んに行われている。
ホタルが飛び交う自然環境を作ったり、また水車小屋でそばを打ち、そば体験コーナーを設けているところもあり、またイルミネーションで町おこしをしたり、人口10000人ほどの町が地元の特産品をPRして年間100万人の観光客を集めたりしているところもあった。
さて津の町はなにをPRしていけばよいだろうか、それには今までとは違った観点からみつめることが必要であろう。たとえば春に「花いっぱい フラワータウン 津」という催しができないものだろうか。
結城神社のしだれ梅、津偕楽公園の桜、むらさきつつじ、津の西部にはらんなどを展示・栽培している大きな植物園もあり、また津インター近くの田畑では休耕田を利用して一面に菜の花を咲かせたり、お城公園、商店街や新しくできる津港では花に関する催しを行ったら・・・津および近郊では花木の栽培が盛んであり実現が困難とは思えない、しかし観光客をひきつけるような催しやめずらしい花、木などの展示をしなければならない。
 

2004.6. 28
前回、「花いっぱい フラワータウン 津」というイベントのことを書いたが何の反響もなかった、予想されたとはいえ、残念だった。
ところで小中学生から津の活性化について意見を求め、公募形式になると思うが実現可能な数点を選び、予算をつけて1年間様子を見るということはできないだろうか。
参宮街道の要所としてきた発展してきた津の町は1893年(明治26年)に鉄道が開通してから、街道を旅する人が少なくなり80軒あった旅館は廃業に追い込まれ、しだいに静かな町になっていった。何とかして昔の賑わいを若い小中学生によって取り戻してほしいと思う。

2004.7. 5
7月1日(木)12時から津のおすすめスポットを見てまわった。
まず来年の2月に完成予定の津港の様子をカメラにおさめ、御殿場海水浴場、津城址公園、唐人さんの家の前を通り、津偕楽公園、高田本山へ行ったが、平日だったのか観光客の姿はなかった、観光客はどこに行っているのだろう。
7月4日(日)浜名湖花博にでかけた、花博は2回目であるが、今回は私の所属する三重県奇術協会の会員のみなさんといっしょに会場内の「水辺の劇場」で奇術を披露するのが目的だ。花博でマジックを見る人は少ないと思っていたが、1000人はいる客席はほぼ満席、熱気につつまれたマジックの披露であった。
この日は休日ということもあり大勢の観光客で賑わっていた、特に青いバラのコーナーでは立ち止まってなんども眺める人たちで混雑していた。青バラを展示してある建物の出口ではなぜかしら青いバラのソフトクリームが飛ぶように売れていた。津もこんな賑わう町にならないのだろうか。

2004.7. 8
あるホームページの掲示板で「津の町は商店街や国道を歩いていても人はまばらで中高年の方ばかり目につきます」という意見が掲載されていた、たしかに国道23号線を走行してみると、道路は広いが人通りは少ない。
1995年(平成7年)と2000年(平成12年)に2つの大型スーパーが相次いで撤退し、津の中心街に大きな穴があいたようだ。空洞化した津の中心部をなんとかしなければ・・・と考えている人もいるが、なかなか難しいのが現状だ。
撤退したスーパーの跡地に魅力あるものをつくれば、空洞化は解決できるということは誰でもわかっているが、観光客をひきつける魅力あるものとは、いったいどんなものだろう。

2004.7. 20

青森県の田舎館(いなかだて)村で、水田につがるロマン(米の銘柄)と古代米で巨大アートを描き展望台からながめるというBIGな企画が人気をよび、県外からも多くの観光客が訪れている。
今年は棟方志功の作品を描き、昨年はモナリザだった。昨年のモナリザの稲刈りにも多くの観光客が参加して、参加者同士が親睦を深めたり、またこの日刈り取ったつがるロマンは精米をしてから参加者に贈られたという。津も巨大水田アートに代わるもので町おこしができないのものだろうか。

2004.7. 27
熊野古道が三重県南部の東紀州に新風を吹き込んでいる、世界遺産に登録されてから問い合わせも多く、農林漁業の不振や少子高齢化に悩む地元にとっては久しぶりに明るいニュースとの新聞記事をみた。
観光客の多くはバスによる日帰りツアーであるが、名古屋から熊野へ行く途中に伊勢自動車道の津インターで降り、津市内の観光をしてから熊野へ直行するプランは難しいかなぁ。
熊野へ行くならば津にも立ち寄らなくっちゃ・・・という魅力あるものを津に作りたい。
 

2004.7. 30
7月24日の夜、津の花火大会を見に行った。今年は花火の写真を撮りたいということもあり、花火が良く見える阿漕平治の伝説でよく知られている阿漕浦海岸まで行ったが見物客でいっぱい、熱気にこもった花火大会だった。
12万人の人出というからすごい人数だ、津の町にこんなに多くの人が集まるというのは年に何回あるのだろう。 

2004.8. 3
知人に「津の活性化についてなにか意見があればメールをして」とお願いしてみたが、「活性化につながる名案がうかばない」という。
たしかに津は室町時代までは港町として、また江戸時代には参宮街道の城下町、宿場町として、明治時代から戦前までは紡績の町として活気のある町を形成してきた、また、明治に開催した博覧会や、高田本山のお七夜など津の町が賑わう時もあったが、一年を通して津の町が観光客で賑わうということはなかった。歴史的建造物も少ないし、観光客をひきつけるような自然といったものがない津にとってはやむをえないことだろう。
「ハード面よりソフト面での活性化を考えたら」と知人はいう。ソフト面での活性化とは、どんなものだろう。

2004.8. 7
津のおすすめスポットを車で見てまわった。まず高田本山の全国的にも珍しい環濠をカメラにおさめ、城址公園の高虎の銅像、津港の新設工事そして阿漕塚をみて御殿場海水浴場へ行った、海水浴場は家族ずれの海水客で賑わていた。
御殿場から堤防沿いに阿漕浦海岸へ行く途中に植生したのだろうか、美しい松並木が続いていて将来津のおすすめスポットなりそう。
そして津観音から大門商店街を通って岩田橋まで歩いてみたが、途中に大型スーパー撤退後に建物を壊したために国道から角櫓が見えるようになったが、天守閣ならぼもっとよいのに・・・
中心街の道路は8車線、広い歩道であるが行き交う人は少なかった。中心街の活性化のためにも道路を6車線にしてバス停以外の両側1車線を駐車できるように整備したら、もう少し賑わうようになるのに・・・。

2004.8. 21
『観光を軸に町おこしを目指す地域のお手本に――。政府が選定した「観光カリスマ」の活用が、来年度から本格化する。全国各地で観光振興に成功した達人の極意を学び、海外などからの観光客誘致を進める狙いだ。(2003年6月)
まったく観光資源がなかった地域に、様々な工夫や知恵で全国から観光客を集めた実績がある「カリスマ」に、観光による地域振興を考えている住民が、気軽に連絡して相談できるようにしようという試みだ。』という記事をインターネットでみた。
愛媛県のある町では夕日を観光資源に、夕焼けを背景にコンサートを開催し、いままではわずかの観光客が55万人に増えたり、また愛知県のある町では山村の暮らし体験できる施設を開設し、年間観光客が138万人から220万人に増加したり、また滋賀県のある町では古い町並みとガラス工芸を組み合わせて商店街を活性化させ、年間観光客が164万人から461万人に増加した。このほか北海道のある町では雄大な自然を、ゴムボートに乗って急流を下る「ラフティング」というスポーツに目を付け、スリルとともに味わえる川下りを始めたところ、評判が口コミで全国に広がり現在は年間3万人が訪れる。また山形県のある町では農業と観光を結びつけた「観光農業案内所」を設け、イチゴ、サクランボ、ブドウ、スイカ、リンゴなどが年中楽しめる観光農園を開設した。果物狩りを楽しみながら季節感を味わってもらうよう、実際に掘った芋の試食会やそば打ち、イチゴを使ったジャム作り、サクランボの種飛ばし大会などを企画した。完全予約制でビニールハウスの中で天候に左右されずに楽しめる点も受けて、数年前まで年間約4万人だった観光客は、現在160万人にまで急増している。さて津の町は何をアピールしたら観光客が増加するだろう。

2004.9. 23
中部国際空港へのアクセス港を「津なぎさまち」と呼ぶことに公募で決まった。近くの小学校の子供たちが未来の「津なぎさまち」をイメージした絵を制作中であることを新聞で知った。市街地を見渡せる観覧車、ラッコのいる水族館や自分たちが釣った魚が食べれるレストランなどを描いたり、また今のような自然も残ってほしいという願いもこめて浜辺での海水浴を描く子供たちもいたという。
できれば多くの子供たちや一般の人の意見も聞き、予算上のこともあるが「津なぎさまち」の建設に反映させてもらいたいと思う。
この付近の開発については20年前に浮上し、人工島の建設や博物館、ショピングセンターなどの建設の構想がもちあがったが経済状況の変化などで立ち消えとなってしまった。しかし中部国際空港の開港が来年に迫り、現在津港の建設が急ピッチですすめられているが、「津なぎさまち」の開発プランには多くの人の意見をとりいれてほしい。

2004.10. 10

今日は朝から津のフェニックス通りで行われる津まつりを見に行った。9,10日の2日間行われる予定だったが、台風の影響で9日は中止になってしまった。
郷土芸能パレードでしゃご馬、八幡獅子など昔なつかしいものもあったが、唐人おどりや高虎太鼓、また各地区で参加するイベントに多くの子供たちが参加していることが、まつりをより活気のあるものにしていた。
それにしても津まつりは年を追うごとに盛大になってきている、またいつもは人通りの少ない商店街や三重会館付近は見物客でいっぱい、バスも満員で乗れない人もいた。

2004.10. 26
私が「津を賑わう町に」と熱っぽく語りはじめると、聞いている人はあっけにとられ笑う人もいる。言っていることに少し無理があることはわかっているが、なんとかしてもう少し賑わう町にならないものだろうか。
戦後59年が経過し落ち着いた住みやすい町として発展してきたが、観光面はいつも後回しにされてきた。しかしここで一度発想の転換をして「魅力ある町づくり」を前面にだして、「一度、津に行ってみたい」と言ってもらえるような魅力あるものを多くの人で考えたら、いい案が浮ぶかもしれない。

2004.11. 3
先日津港の新設工事の様子をカメラにおさめ、津の城址公園に行ったが観光客の姿はなかった。。
1608年に伊予今治から伊賀・伊勢国に移ってきた藤堂高虎は高い石垣をもつ要塞堅固な津城を造りあげるとともに、城下町としての町づくりをすすめ、参宮街道の要所として多くの旅人で大変賑わったという。城のまわりには内堀と城を大きく囲む外堀があったが、外堀は明治時代に埋め立てられ、また南側の内堀や堀川は第二次世界大戦でできた瓦礫などを埋めるなどして、次第に宅地化されてしまった。江戸時代に津城本丸と内堀、そして安濃川と岩田川の水をひいた外堀のあるスケールの大きな津城周辺は、行き交う旅人たちで賑わったという、また宿屋町で泊まった人も多かっただろう。
上野を有事の城、津は平時の居城だったので天守閣は造らなかったものの、藤堂高虎の業績については今も語り継がれてがれているが、戦後復興のなかでもっと早い段階で津城の復元とか資料館の建設などに着手してほしかった。

2004.12.2
津は1888年(明治21年)4月1日に京都、大阪など30市とともに市制が施行された、名古屋市は10月1日、岐阜市は7月1日だったので東海地方ではトップに市になったのである。明治20年代には鉄道が開通し、また1873年(明治6年)には一身田専修寺、1878年(明治11年)と1907年(明治40年)には偕楽公園で博覧会が開催された。最も規模の大きかった博覧会は明治40年に偕楽公園で開催された第9回関西府県連合共進会であった、会期は4月1日から5月30日までの60日間、会期中の入場者は779000人で1日の入場者が津市の人口を上回ることもあったという、その多くは参宮をかねていた。会場近くの国鉄津駅はどんなに混雑したことだろう。また1914年(大正3年)には三重紡績と大阪紡績が合併し、東洋紡績が設立され日本最大の大工場になった。また第一次世界大戦の好景気で市内には多くの工場もできた。津に日本最大の紡績工場があったといわれても信じることが出来ない。この東洋紡績津工場も第二次世界大戦で爆撃を受け破壊されてしまった。
このように明治、大正時代も津は活気のある町を形成していたが、戦後は静かな町になってしまった。江戸時代の藤堂高虎や紡績、博覧会に携わった人たちは雲の上から津をながめて「私が住んでいたときは、もっと活気のある町だったのに」と言っているかも知れない。

2004.12.9
書店で「名城をゆく 伊賀上野城・津城」という本を購入したが、その中に次のようなことが書かれていた。
「津が安濃津とよばれたころ、伊勢参宮道は海沿いにあった。都が奈良のころ、伊勢参宮の道は木津川沿いの伊賀街道から安濃津へでたが、都が京に移ると、近江から鈴鹿越えの道が開かれ、安濃津は中国にまで聞こえた日本屈指の港町に発展する。
津の伊賀街道沿い、豪商を輩出した八町(はっちょう)に江戸中期の医師・国学者、谷川士清(ことすが)の旧宅がある。日本で最初の五十音順の国語辞典『和訓栞(わくんのしおり)』
をまとめた。」
この本の中に「日本屈指の港町に発展」と書いてあるが、これは今から500年前の室町時代のことであるが、津にそのような大きな港が存在したといわれても信じることができない。

2004.12.31
最近新聞に自分の意見を投稿したところ、11月18日に掲載された。

2005.2.1
2月17日に中部国際空港が開港するが、その日から津港と中部国際空港間に高速船が就航する。ある旅行社は2月17日から3月にかけて、この高速船を利用して日帰りツアーを計画している。
すなわち、名古屋から伊勢まではバス、神宮参拝、おかげ横丁を散策し、帰りは伊勢から津港までバス、津港から中部国際空港まで高速船を利用するという、津の観光地には立ち寄らないようだ。
しかし3月には名古屋から奈良の月ヶ瀬梅林を散策し、津の結城神社のしだれ梅を観賞するバスツアーを計画している旅行社もある。帰りには津の商店街で小休憩しないのだろうか。


2005.2.7
中部国際空港へのアクセス港「津なぎさまち」の開港を記念したイベントが2月6日に開かれ、新設された港と高速船を見ようと5万人が訪れた。空港が開港する217日から高速船も毎日14便運航されるが、この日から津駅前より「津なぎさまち」まで連絡バスも毎日運行される。
さて500年ぶりに復活した津港であるが、津の新名所として定着していくことは確実であるが、津の活性化につながっていくだろうか。春の行楽シーズンには空港から高速船で「津なぎさまち」にやってきて、観光バスに乗り換え伊勢志摩や熊野古道に向かう観光客が多くいると思うが、津を素通りしないだろうか。
センターパレスや商店街の空き地に魅力あるものを誘致するか、造るなどして観光客に小休憩してもらえるようになれば、津の中心にある三重会館やセンターパ
前を観光客が行き交う光景も見られることだろう。

2005.3.1

津港から空港に行く高速船の午前の便と空港から津港にくる午後の便の乗客が多い。つまり空港の見学や飛行機で旅に出る乗客で、新設された津港は賑わっている。しかし朝から津にやってくる人が少ないということは残念なことだ。
津に関するホームページを見ることがあるが、「津を活性化しなければ・・・」と訴えている人もいるが、津の中心のセンターパレスや商店街に観光客が立ち寄るような魅力あるものを造る、または誘致するという考えを持っている人はどうやら私だけだ。魅力あるものを造ったから、すぐに津の活性化につながるとは思わないが、なんとかしなければ・・・と思う。
自宅に送付されてきた旅行社の冊子の中に日帰りバスツアーの募集があった。その中の1つは名古屋駅から名鉄電車で空港へ、空港でショッピングを楽しんだのち、空港から高速船で津港にきてバスで名古屋に帰るコースと、名古屋からバスで伊勢へ、神宮参拝とおかげ横丁を散策したのち、バスで津港にきて高速船で空港に帰るコースが紹介されていた。いずれも津の観光は計画されていないが、津は旅の通過点であってはならない。

2005.3.8
津のおすすめスポットである津港と結城神社のしだれ梅を見に行った。
まず津なぎさまちの津港の駐車場は満車に近く、「見学の駐車はご遠慮ください」の立て看板もあった。2時発の高速船の乗客は定員の半分ぐらいであろうか、白い真新しい船体が桟橋に接岸していた。
そして結城神社のしだれ梅は今が満開、境内には梅の花の香りがただよい観光バスも数台駐車していた。グループホームのお年寄りも花をバックに記念写真におさまりうれしそうだった。


2005.3.13
大学生が作成している津に関するホームページをみた。サークルか学習の一環として編集されていると思うが、津の名所旧跡の案内とともに津の繁華街である大門についても取り上げられていた。
聖徳太子の創建という伝承のある四天王寺や津藩主藤堂家などの墓や供養塔がある寒松院、また安濃川の岸辺や大里窪田のほたるについても、若者の視点から津の観光地を紹介していた。

2005.3.21

津港から中部国際空港へ高速船が運航されてから1カ月経過した。空港人気もあり高速船の利用者は予想を上回る1日平均1500人、また駐車場は満杯の状況が続いているが、津への観光客は増加したのだろうか。
津なぎさまちや城址公園などに観覧車や五連水車を造って活性化をアピールするとよいと思うが・・・

2005.4.3
全国の有名な観光地は、季節外れでも平日でも天気がよくなかっても人がいっぱい、その光景を見ると津もそのようにならないものだろうかと思ってしまう。津には観光客をひきつける自然というものがない、また歴史的建造物も少ない、しかし昔の津は繁栄していた。
室町時代には日本三津(中国からみて日本の三大港)と呼ばれ、活気の有る町並を形成していたと思われる、しかし500年前の明応地震で津港は壊滅的な打撃を受け、それ以後貿易港として復旧されることはなかった。江戸時代には藤堂高虎32万石の城下町また宿場町として発展、参宮街道の要所として最盛期には宿屋が80件も存在したという。またその当時津は安濃津と呼ばれ、天守閣はなかったものの外堀と内堀、堀川を配したスケールの大きな安濃津城は神宮に向かう旅人たちの目にとまり、城の近くで休憩また宿泊した人も多かっただろう。しかし外堀は明治時代に、堀川と内堀の大半は戦災の瓦礫を埋めてしまった。
また明治時代には一身田専修寺や偕楽公園で博覧会が開催された。最も規模の大きかった博覧会は明治40年に偕楽公園で開催された第9回関西府県連合共進会であり、1日の入場者がその当時の津の人口を上まわることもあったという。
大正3年には三重紡績と大阪紡績が合併し、東洋紡績が設立され日本最大の紡績工場になった、また第一次世界大戦の好景気で市内には多くの紡績工場もできた。津に日本最大の紡績工場があったといわれても信じることが出来ない。この東洋紡績津工場も第二次世界大戦で爆撃を受け破壊されてしまった。
このように津の歴史振り返ってみると、津の町はその時代ごとに活気のある町を形成してきたが
戦後は静かな町になってしまった。戦後60年を経過し過去の歴史からみても、もうそろそろ賑わう津の町になる時期がきているといえる、500年ぶりに津港が復活し、津港から空港へ行く高速船の評判もよい。このようなことからも賑わう津の町をめざして何か行動をおこしてもよいと思う。

2005.4.28
先日バスツアーで愛・地球博に行った。10時30分に東ゲートから入場したが、人気のある企業パビリオンは並んでいる人でいっぱい、あきらめてゴンドラに乗って外国のパビリオンを見学した。自宅に帰ってから地球博のホームページをみると、この日の入場者数は85000人だった、休日には100000人を越すというが、こんなに多くの観光客がやってくるのだから、他の観光地はいつもより少ないだろう、もっとも津はいつも少ないが・・・
いろいろなパビリオンをみていると、「津にもこんな催しができたら」と思ってしまう。空洞化した津の中心にメガネをかけて見る立体映画や、360゚どこからでも見える立体映像システムなどいろいろな映画に関するシアターを造って観光客を誘致するストーリーを考えてみたが、また夢の世界に入ってしまった。

2005.5.6
津の歴史を調べてみた。
1498(明応7年) 津は古くは安濃津とよばれ古代から港町として繁栄していたが、室町時代の明応7年の明応地震により港が陥没、それ以後小さな港はできたものの、貿易港としては復旧されることはなかた。この港が存在していたら現在の名古屋港のようになっていたかも知れない。
安濃津は博多津(福岡)、坊津(鹿児島)とならんで「日本三津(さんしん)」(中国からみて日本三大港)とよばれ、津の町は荷物の輸送、保管、またその取引にかかわる人たちで、活気のある港町を形成していたと思われる。
1608(慶長13年) 伊予今治から伊賀・伊勢国に移ってきた藤堂高虎は32万石の城主として城を大改修し城下町を整備した。伊賀上野城を有事の城、安濃津城を平時の城としたため、安濃津城には天守閣はなかったもの外堀、内堀、そして堀川のあるスケールの大きな城は遠くからでも旅人の目にとまり、城の近くで休憩したり、また宿泊した人も多かっただろう。
また海岸近くを通っていた参宮街道を城下にひきいれ、津を宿場町として発展、多いときは津に宿屋が80件も存在したという。津の町づくりは高虎から、2代、3代藩主へ受け継がれ、、90年かかって一段落したという。
しかし城の外堀は明治末期に、また堀川と内堀の大部分は、第二次世界大戦でできた瓦礫を埋めるなどして消えてしまった。
1709(宝永6年) 津で生まれた国学者・谷川士清(ことすが)は日本最初の五十音国語辞典「和訓栞(わくんのしおり)」の著者として知られている。
現在津と伊賀を結ぶ伊賀街道の八町に旧宅が残されている。
1650 〜1830     江戸時代には伊勢まいりが流行、なかでも特定の年に参宮が熱狂的に行われ、多くの旅人が伊勢へ押し寄せた。慶安3年(1650)から天保1年(1830)までほぼ60年周期で「おかげまいり」が行われ、その多くが津の町を通過、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と唄われるほどに参宮街道の要所として発展した。その様子が旅行記などに記載され、また多くの常夜燈でしのぶことができる、とくに天保1年の場合は約500万人が伊勢へ押し寄せた。
また参宮の行き帰りには浅草(東京)、大須(名古屋)とならんで日本三観音のひとつに数えられている津観音にお参りしたという。
1889(明治22年) 4月1日に京都、大阪など30市とともに市制が施行されたが、津は東海地方でトップに市になった。
(名古屋市は10月1日、岐阜市は7月1日)
1891(明治24年) 参宮鉄道が開通すると、参宮街道を行き交う旅人は急速に少なくなってしまった。
つまり津は参宮街道沿いの城下町、宿場町として賑わいをみせたものの、津をめざしてやってきた観光客はなかったといえる。
しかしこのころから津駅周辺や伊予町、岩田町付近に大工場ができ産業の面で次第に発展していった。
1907(明治40年) 4月1日から5月30日までの60日間、偕楽公園を中心に第9回関西府県連合共進会(博覧会)を開催した。会期中の入場者数は779000人、1日の入場者数が当時の津の人口を上まわることもあった。
1914(大正3年)
三重紡績と大阪紡績が合併し、日本最大の紡績工場である東洋紡績津工場ができた。第一次世界大戦の好景気にもささえられ津には多くの紡績工場もでき、産業面で津の町は活気にあふれていた。その東洋紡も第二次世界大戦で爆撃をうけ、破壊されてしまった。
1945(昭和20年) 7月に戦災により市街の73%(旧市内)を焼失したが、津の町は困難を乗り越え大きく発展し現在に至っている。

2005.6.5
5月19日に私の投稿した意見が新聞に掲載された。
  
     

2005.6.13
昨日、高速道路を通り四日市に行く途中,御在所サービスエリアに立ち寄ったところ、観光客でいっぱい、その多くは万博にでかけるのであろう。このような光景をみると津の町も観光客でいっぱいにならないかと考えてしまう。津はこの500年間に何度か賑わうときがあった、たとえば天保1年(1830年)のときにはおかげまいりで約500万人が伊勢へ押し寄せたという、すると1日に1万人以上の旅人が津の町を通って伊勢に向かったことになる。なにかのきっかけで昔のような賑わう津の町にならないだろうか・・・

2005.6.20
山梨県塩山市がかって懸賞論文募集をしたことがある。そのときの様子がホームページで紹介されているのでコピーさせてもらった。

みんなで語ろう楽しい塩山

〜塩山のまちづくりについての懸賞論文募集〜

私たちのまち塩山市は歴史や文化、果物などの農作物、恵まれた自然など様々な魅力や素材にあふれるまちです。でももうちょっと元気だったらいいなぁって思うことはないでしょうか。もう少し人口が多くならないかとか、もっと皆が楽しく生き生きと暮せる塩山にするには…というような様々な思いが一人一人の胸の中にあるかと思います。

そんな皆さんが考える「どうしたら塩山は元気になるだろうか…こうすれば活性化できる…塩山の将来像はこれだ…」というようなアイデアを広く募集します!!

1.部門 小学生の部、中学生の部、高校生の部、一般の部、はがきの部の5部門

    個人ではなく家族やグループでの応募も可能です

2.募集内容

部門名

応募資格

内容

懸賞金

小学生の部

市内在住者

題名「塩山市の10年後」

塩山の未来についての作文、絵画など

表現は自由(文字数の制限はありません)

賞金総額10万円

特別賞、家族賞、グループ賞など

 

中学生の部

市内在住者

題名「塩山市の未来」

塩山の未来についての作文、絵画など

表現は自由(文字数の制限はありません)

高校生の部

なし

題名「塩山市について思うこと」

作文など(文字数の制限はありません)

一般の部

なし

4000〜5000字程度に塩山の活性化策をまとめてください。テーマは塩山市の活性化を論ずるものとします。総論としての活性化策、人口増加策、社会基盤整備のありかた、すみやすい環境などを論ずる内容などで各論でも結構です。

優秀賞:1点

  20万円

特別賞、ユニーク賞など

はがきの部

なし

「塩山ここが好き、ここが嫌い」と題してはがきで応募してください。絵手紙も可

抽選で粗品を差し上げます

3.締め切り  平成11年9月20日            
                           
2005.7.10
商店街を活性化するには、その商店街の空き地などに魅力あるものを造る、または誘致すれば、観光客の行き来も多くなり、やがては活性化につながっていくと思う。しかし「魅力あるもの」を造るには多額の経費がかかる、またどんなものかわからないとう意見があるだろうが、そのときは「津に魅力あるものを」という公募をすればよい、ユニークであまり費用のかからない魅力あるものがいくつかでてくるだろう。なにかにきかけで津の町は昔の賑わいを取り戻すことだろう。

2005.7.17
津市北部には産業・高次都市・居住の各機能を有する新都市として「中勢北部サイエンスシティ」の開発が行われている。計画を立案したときはバブル全盛期のころと思われるが、景気が停滞している現在では企業誘致が少しずつ進んでいるものの、まだ広い土地が空き地として残っている。
津の町は戦前には日本最大の紡績工場があり、産業の面でも活気のある町並みを形成してきた。このサイエンスシティに大企業が進出したら、津は昔のように賑わいをとりもどすことだろう、しかしこのことはなかなか難しい。そしてこの土地が市街地にあるならばもっと市民の注目を集めることだろう。


2005.8.7
津の町が活性化するには空洞化した市街地に魅力あるものを誘致する、または造れば観光客が立ち寄るようになり、やがては賑わう町に変わっていく。休日には伊勢自動車道路を通り、伊勢志摩や熊野古道にマイカーで出かける人も多いが、「津の町に魅力あるものができたやないか」ということで、その途中に津インターから「魅力あるもの」を求めて、津の市街地に観光客がいっぱいに・・・
なにかのきっかけで昔のような賑わう津の町に変身するだろう。


2005.8.8
テレビで水田に異なる米の品種で巨大ビッグアートつくり、列車の開通を歓迎している光景をみた。平成18年1月1日から10市町村が合併して新しい津市が誕生することが決まっている。その合併を記念して10地区で水田や田畑、山の斜面に巨大ビッグアートの取り組みをしたらよいと思う。
米のほかに花,、木などいろいろなアートが考えられるが、統一したテーマを考えたほうがよい。建物の屋上や、幹線道路、近鉄、国鉄(現在はJRという)の車窓から眺められるような場所を設定すれば、「津には10ヶ所もビッグアートがある」との話が広がり、全国から観光客がいっぱい・・・朝からまた夢を語ってしまった。

2005.8.13
ンターネットを見ていたら、津駅前を発着し「上多気」の町並みを散策する一泊二日のバスツアーをみつけた。津市内の観光はしなかったのだろうか。

伊勢本街道ウォーキングと名松線の旅(一泊二日)                   
山里の小京都「上多気」から伊勢の町を訪ねる。 かつて関西から伊勢参りの街道として賑わった「伊勢本街道」をゆっくり歩きながら、旧宿 場町「上多気」の町並みを散策。往時に思いを馳せると共に、伊勢、二見の歴史を偲ばせる町並みへと足を伸ばします。
【実施日】平成15年11月29日(土)・30日(日)【発地】各地より津駅(近鉄・JR)集合【形式】モニターツアー(三重県・伊勢志摩再生プロジェクト主催)【定員】30名(定員になり次第締め切ります)【内容】かつて関西から伊勢参りの街道として賑わった「伊勢本街道」をゆっくり歩きながら、旧宿場町「上多気」の町並みを散策。往時に思いを馳せることができます。
【1日目】
津駅集合⇒観光バス⇒JR家城駅⇒JR伊勢奥津駅⇒伊勢本街道ウォーク(インストラクターのガイド有り)⇒上多気の町並み・北畠神社⇒観光バス⇒伊勢にて宿泊
※昼食は、地元のお母さんによるおにぎりの懐かしい竹皮弁当をご用意しております。

【2日目】
ホテルにて朝食⇒観光バス⇒二見⇒二軒茶屋餅(お店の歴史・云われを伺う)⇒説明を聞きながら河崎商人館及び周辺散策⇒おはらい町・内宮参拝⇒昼食「すし久」にて特別メニュー⇒古市「麻吉」資料館見学(特別公開)⇒観光バス⇒津駅解散

2005.9.1
巨大ビッグアートにつづいて巨大迷路を考えてみた。来年の1月から10市町村が合併して新しい津市になることが決定しているが、合併を記念して来春10市町村にそれぞれ指定されている花を大きな移動可能なプランターに植え巨大迷路を造り、10ケ所の合計タイムを競い合うというアイデアだ。
そして上位入賞者には地元の特産物やお菓子をプレゼントしたり、また10市町村のうち1つを選んで400字程度の「心に残った思い出」を書いて提出してもらうということも・・・。
8月に新「津市」となる10市町村の中学生による議会が開催されたことを新聞でみた。中学生からは「津なぎさまち」にアウトレットモールのような施設を、また活性化を求める意見もでたという。津はこの500年のあいだに何度か賑わうときがあったのだから、なにかのきっかけでまた賑わうときがやってくるだろう。この合併を機会になにか行動をおこしたらと考える。

2005.9.3
「日本三津」と呼ばれた津の港町を再現したり、また参宮街道を行き交う旅人で賑わった様子を模型で表現したり、昭和初期から戦前まで日本最大の紡績工場が存在した資料を展示したりして、歴史ある津の町にも歴史資料館を造ってもらいたい。
できれば最新のコンピューター技術を取り入れ、立体映像など県外の人々にも注目されるようなものを・・・城址公園内に資料館を造り、公園内を有料にして管理すれば津に新名所が誕生ということになるが少し難しいかな。

2005.9.8
空洞化した商店街に賑わいを取り戻すのに、「魅力あるもの」を誘致または造ればよいと考えている人はあまりいない。しかし「魅力あるもの」ができたら、しだいに多くの人が集まるようになり、活気のある町を形成していくだろう。その建物が小さくてもまた駐車場がなくても、そんなことは関係ない・・・
「魅力あるもの」には多額の経費がかかるということについては、公募で多くの人の意見をきけばよい、きっと少ない費用でユニークな案がでてくるだろう。

2005.9.12
インターネットをみていたら津の町に関係のある旅行ガイドをみつけた。

◆奈交バスハイク(3月)◆
奈良県内10ヶ所の乗場からハイキングポイントまで観光バスで送迎。
テーマ 運行日 旅行代金等 ハイキングコース
〔町並散策〕
梅香る藤堂藩32万石城下町・津(三重県津市)
2004年3月
7日(日)
13日(土) 18日(木)
大人\3,500
小児\3,000
《一般向》
津・四天王寺→津観音→阿漕塚→結城神社→津城跡
〔徒歩約8`・約3時間〕

★芭蕉さんハイキング「三大観音・津観音と阿漕塚を訪ねて」   2004年11月6日(土)         
三大観音を訪ねてみよう!   
場所:近鉄津新町駅前 受付   時間:受付時間 9:30〜11:00   
交通:近鉄津新町駅下車   料金:参加料無料、予約不要
     津新町駅・・・お城公園・・・津観音・・・阿漕塚・・・結城神社  ・・・南が丘駅(約8km)のコースです!

紅葉の美杉・伊勢本街道散策〜北畠氏ゆかりの山里へ〜    …ウオーク&バスツアー参加者募集  
 美杉村・伊勢本街道は大和と伊勢を結ぶ要所として、古くから神宮をめざす多くの参宮客 が往来し、多くの人がこの地の土を踏みました。南北朝時代以降、伊勢国司北畠氏が多気に城館を構えたため多くの武士が居住し、城下町を形作りました。
 その後、北畠氏は織田信長に滅ぼされましたが、北畠神社や三多気の桜をはじめ、街道にはその面影が多く残されています。美杉村の歴史が学べるふるさと資料館や名勝及び史跡に指定されている北畠氏館跡庭園を見学し、北畠氏ゆかりの秋の山里・伊勢本街道を散策してみませんか。
◆開催日時;2001年11月21日(水)  ◆行  程;ウオーキング 約6q  
 津市(バス)→払戸・中垣内の常夜燈→庚申地蔵→須郷のおんばさん →札場跡→谷口の常夜燈→(バス)道の駅美杉[昼食](バス)→谷町の町並み→聖光寺→美杉ふるさと資料館→北畠神社 →町屋の町並み→鶯の水→(バス)津市     
◆集合時間と集合場所
 8:30三重県津庁舎  8:45津駅前  9:15三重県久居庁舎    (三重県津庁舎帰着予定時刻17:00ごろ)

結城神社「しだれ梅」と「月ヶ瀬梅林」バスツアー
申し込み画面へ ■日  時    平成17年3月13日(日)
■集合場所   サンワーク大垣(午前7時45分)
■行  程

大垣(8:00発) 桑名東I.C. 結城神社(華麗さ日本一のしだれ梅見学)10:30〜11:15 名阪関ドライブイン(昼食)11:45〜12:35 五月橋I.C. 月ヶ瀬梅林(1万本とも言われる梅林散策)13:40〜15:00 亀山(ショッピング) 16:00〜16:40 大垣(18:30頃)着
 
地ビール
ハイキング「ISE PORTビール」(津市)
開催日:2003年7月12日(土)  
集合:近鉄高田本山駅前 9:30〜10:40集合
コース:高田本山駅-寺内町内-高田本山-寒紅梅酒造-高田本山駅の約5km


2005.9.30
津にはさくらやムラサキツツジでよく知られた偕楽公園と藤堂高虎32万石の城址公園があるが、いずれも無料開放されていて市民の憩いの場となっている、しかし樹木の管理や美化の面からも有料化して公園の管理をしたほうがよいのではないかと思う。
2つの公園に歴史資料館の本館と分館を造り、コンピュター技術を駆使した博物館にすれば、「津にすばらしい博物館がある」との話がいつしか全国に知られるようになり、県外の観光客も津にくるだろう。すると津駅西口から偕楽公園までの歩道は観光客でいっぱい・・・夢を語ることは楽しい
2005.10.22
津西部の高速道路近くで津の中心部を流れる岩田川と安濃川を最短距離で結ぶ「安濃岩田運河」の夢のような計画があることを津に関するホームページで知った。
この写真は安濃川の櫛形付近から南部の岩田川の方向を写したものであるが、ここに約800mの運河を造り、堤防には遊歩道を併設し、桜並木など植えて整備していくと津の新名所となりそう・・・実現はいつの日だろう。


2005.11.12
「津の活性化」について書いているホームページはときどきみかけるが、「津を賑わう町に」と書いているのはほとんどない。
津の町は江戸時代には参宮街道の要所として大変な賑わいをみせたという、しかし明治になってから鉄道が開通すると参宮街道を行き交う旅人は少なくなってしまった。すなわち昔から津の観光地をめざしてやってきた旅人はほとんどいなかったといえる。
ところでこのホームページでは、「津を賑わう町に」という夢のような話を展開している。「津の中心部に県外の観光客がいっぱい・・・」このような現象は夢の中でも実現は難しい。
しかし私は津の中心部に「全国で津だけしかない魅力あるもの」を造ればよいと考えている。それは真の活性化ではないかもしれないが、努力してみる価値はある。たとえば商店街に魅力あるものを誘致するとか、「安濃岩田運河」に五連水車やせせらぎの小径を造ることも一つの案だ。

2005.12.11
人に会うと「津を活性化しよう」というホームページを作っていることを言う。すると「津はなにもないところやからがんばって」という声を聞いたり、また「戦後60年たつが目に見えた形での活性化がされていない、したがって難しいのではないか」という意見もある。
秋の行楽シーズンには観光地は自動車で渋滞しているが、津は観光地から家路に急ぐ自動車で渋滞している。津の町は旅の通過点であってはならない、昔は活気のある町並みを形成していたのだから・・・

2005.12.29
東京浅草の観音、名古屋の大須観音とならんで日本三観音の一つとして、お伊勢参りの行き帰りにはかならず立ち寄ったという津観音で、11月に新津市の誕生を前に合併する10市町村の名物や名産を集めて「ふるさと自慢in津観音」が境内で開かれ、ひさしぶりに多くのお参り客で賑わった。(津の名物「うなぎ」の旗もみえる)


2006.2.8
ひさしぶりに津の中心部にある商店街を歩いてみた。かつては三重大教育学部がこの近くにあり、昼間から若者など多くの家族づれで賑わった商店街であったが、今では人通りも少なく昼間からシャッターを閉めている店も多かった。商店街の活性化については選挙のたびに聞く言葉であるが、いつ活性化されるのだろう。
私が商店街の風景をカメラで写していたら、ある老人が近づき「何かいいものが見えるのですか」と話しかけてきたので、思わず「静かな様子を写してます」と返事をしてしまった。
2006.4.3
10市町村合併による新・津市の発足を記念した第1回津シティマラソン大会は2月19日津競艇場周辺で行わた。2575人の参加者で家族や友人の声援を受けて熱気につつまれていた       


2006.4.3

久しぶりに電車で名古屋へでかけたところ、その電車の車内広告に津の町のハイキングのことが掲載されていた。
『津・大門界隈には商店・旅籠屋・問屋・本陣・脇本陣などがあり、東海道膝栗毛に「往来ことに賑わかしく」と記されたほどに栄えていました』・・・なんとかして昔の賑わいを取り戻したいものだ。
このコースはよく知っているがこれだけ歩くのは大変だ、ただ思案橋は知らない。

2006年4月8日(土) お伊勢さんへのみち第7回  伊勢街道 宿場町・津

約10km   約3時間
コース<凡例> -----電車 =====バス ・・・徒歩 
江戸橋駅…連子格子の家並み…四天王寺…津・大門…閻魔堂…ヤマニ造酢…常夜燈・地蔵堂…思案橋…東雲寺…南が丘駅
かつて、津・大門界隈には商店・旅籠屋・問屋・本陣・脇本陣などがあり、東海道膝栗毛に「往来ことに賑わかしく」と記されたほどに栄えていました。集合江戸橋駅前 9:00〜10:30

通常ツアーではほとんど訪れることのない桜の隠れ里へご案内

奥伊勢・三多気の桜
旧伊勢街道の山深い美杉町三多気に咲く山桜
真福院という寺院の参道約1.5kmにわたり2000本もの桜並木が続きます
寺院・桜並木ともに歴史は古く真福寺の創建は奈良時代、桜の木は鎌倉時代に 植樹されはじめました。今では日本さくら名所100選も数えられています
高槻(7:00集合)茨木(7:40集合)吹田(8:20集合)★三多気(約1.5kmにわたり続く2千本もの桜並木)
☆室生寺(国宝拝観)★仏降寺の桜(樹齢900年。奈良県最大最古の山桜の老樹。国の天然記念物を目指して約20分のウォーク)★大宇陀・本郷の瀧桜(別名「又兵衛桜」と呼ばれる樹齢300年のしだれ桜)吹田茨木高槻(18:00〜21:00着予定)
                                                      
2006.4.4
津市のホームページで「思案橋」について調べたところ、次のように書かれていた。
・・・「からす(香良洲)道」は現在藤枝会館の建っているところが起点であった。同館の隣に俗称思案橋と呼ばれる用水溝にかかる石橋がある。橋の欄干下の側面には、松・扇・梅が浮き彫りされ、「山半」「文政六年未(1823)仲春」の銘がある。山半とは付近にあった遊廓の名である・・・
私は終戦後から35年間藤枝町に住んでいてこの橋をよく知っているが、この橋が「思案橋」とは知らなかった。欄干下の側面には、松・扇・梅が浮き彫りされ、また「山半」の存在もよく知っているが、川幅1メートルにかかる石橋に名前がつけられていたとは・・・歴史的にみてそんなに価値ある橋だとは知らなかった、ウオーキングに参加した人たちもあの橋をみてどう感じるだろう。



2006.4.18
今日は朝6時すぎから日本さくら名所100選に選ばれている「三多気の桜」の観賞にでかけた。7時30分に到着したが望遠レンズに三脚を持参しているカメラマンの姿ばかりで、朝が早いためか観光客の姿は見かけなかった。撮影ポイントは茅葺き屋根と棚田付近でしょうか、多くのカメラマンが楽しそうに桜を見つめていました。
                                    
2006.5.21
今日はひさしぶりに結婚式に出席し、思い出話に花を咲かせた。私が「津を活性化しよう」というホームページを作っていることを言うと、「わぁすごい、よくがんばっているね」という返事が返ってきた、そこでさらに「津が観光客でいっぱいに・・・」と言うと、みんなに笑われてしまった。「やっぱり言っていることに少し無理があるのかなぁ」と、現実に戻った。

2006.5.5                                            
私の投書が新聞に掲載された 
                                                                      
2006.6.1
朝早くから上多気の町並みの写真撮影にでかけた。
津駅から近鉄で川合高岡まで乗り、少し歩いてJR名松線の一志から竹原へ、竹原から美杉コミュニティバスで北畠神社へ行った。
資料館を見学したり町並を散策したのち、上多気から飼坂峠を通り、JR比津駅まで歩いた。ローカル色豊かな比津駅の写真をとりたかったからだ。


2006.7.15
毎年7月15日に行われる400年の伝統を受け継ぐ河芸町の一色八雲神社の裸祭りをはじめてみた。いつもは静かな神社であるが境内は人でいっぱい、裸男にかけられる冷水に見ている人たちから歓声があがり、熱気につつまれていた。






2006.7.26
7月20日から旅行にでかけた。津なぎさまちに7時30分に到着すると8時の高速船に乗船する乗客で待合室はほぼ満員、7時40分にセントレア港からやってきた高速船から下船した乗客は2人だった、空港から津にやって観光客はいなかった。
旅行先では雄大な自然、そして自然に地下から吹き上がってくる温泉、真夏なのに涼しい風が吹き抜ける自然を求めて観光客でいっぱい、そのような光景をみていると「津もこのように観光客でいっぱい・・・」にならないのかなぁと思ってしまう。

















2006.8.9
津市北部に中勢北部サイエンスシティの開発が平成8年 より進められているが、企業の誘致が思うように進まず広い土地が空き地として残っている。
詳細についてはよくわからないが、ここに大企業が進出すれば津の町は産業の面でも活気のある町になってくるだろう。
昭和初期から戦前まで津は繊維工業の町として発展し、日本最大の紡績工場である東洋紡績津工場も存在していたのだから、近い将来ここが企業でいっぱい・・・・・夏の暑い夜、夢を語ることは楽しい。

              

2006.8.29
「シニア塾」の参加者は5人、夢を真面目に語るのは難しかった。


2006.8.30
     
新「津市」が活気のある町に・・・次の5項目について考えてみた、いずれも夢の世界に入らないと実現は難しそう、でも昔の津はその時代ごとに活気のある町並を形成していた、歴史は繰り返すという言葉があるが、なにかのきっかけから昔の賑わいを取り戻しそうな気がしてならない。1項目でも実現したら津の町はしだいに活性化していくだろう。

 1. 空洞化した津の中心部の商店街に魅力あるものを造る、または誘致する。
魅力あるものとは何だろう、それは公募で市民に問えばよい。


2. 「新しい津の町を活性化するにはどうすればよいか」・・・小学生、中学生、高校生、一般の部に分けて論文募集をする。

また津の町を実際に旅して、「旅のエッセー」を募集するのもよいだろう。

3. 旧10市町村に1ヶ所ずつ、田畑 や山の斜面に花などで「フラワーアート」をつくり、新しい津をアピールする。
JRや近鉄、幹線道路から見えるところに、来春フラワーアートをつくり観光客の誘致をめざす。また10ヶ所のフラワーアートをめぐるツアーや、JRや近鉄、路線バスを利用した早やまわり競争も考えられる。

4. 岩田川と安濃川を最短距離で結ぶ「安濃岩田運河」の新設
安濃岩田運河については津に関するホームページで知ったが、市民にはほとんど知られていない。櫛形付近に800mの運河を造り、運河にはボートも浮かべてまた遊歩道には桜並木、五連水車など・・・

5. 「歴史とロマンの町・新しい津の町を探訪しよう」・・・2泊3日のバスツアー募集
高田本山、風力発電施設、名松線の乗車体験、上多気の町並み散策、神社、寺など国宝、重要文化財の見学、また3月には結城神社のしだれ梅、4月には三多気の桜、そして三重県立美術館も・・・・・(宿泊は榊原温泉と火の谷温泉)
フラワーアート」が実現したら、10ヶ所のうち5ヶ所をバスツアーに追加。

2006.9.9
津の中心部の国道は8車線道路で広いが、中心部を通り過ぎると4車線となり朝夕の通勤時、そして休日には車の渋滞がめだつ。休日の車の渋滞については観光地から家路に急ぐ車がほとんどだ、津の町は旅の通過点であってはならない。

2006.10.8
朝早くから津まつりにでかけた。和船山車のまわりには「1日船長」を見ようと見物客でいっぱい、いつもは静かな商店街や津観音も人であふれていた。唐人踊りやしゃご馬、高虎太鼓など久しぶりにみる郷土芸能もよかったが、なんといっても「安濃津よさこい」の迫力ある踊りには華やかさと活気があった。また津とともに日本三津とよばれた坊津町(南さつま市)の郷土芸能の披露が印象に残った。


 

2006.10.16
安濃津城のやぐらの詳細な図面が発見されたことから再建の話が持ち上がっている。城の再建についてはいままで何度か聞いたことがあるが、明治時代の外観写真や絵図しかないこともあり再建されなかった。
安濃津城は1580年に織田信長の弟・信包(のぶかね)によって築城、1608年に藤堂高虎が城の大改修を行い本丸の四隅にやぐらをたてたが天守閣は再建されなかった、そして高虎が城の大改修を行ってからまもなく400年になろうとしている。

2006.10.23
津の町の様子を写した戦前の写真である。


津観音仁王門


岩田橋と旧伊予町、遠くに東洋紡津工場
は  じ   め  に  津なぎさまち   生徒会誌に投稿   ぐるっと津めぐり  高  田  本  山
北 畠 神 社 地 域 の 紹 介 活性化をめざして1 活性化をめざして2 ト  ピ  ッ  ク