は  じ   め  に  津なぎさまち  津 の 歴 史  ぐるっと津めぐり 
高  田  本  山 北 畠 神 社 地 域 の 紹 介

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津駅に駅前花壇を・・・津は観光地への通過点であってはならない

津の町が観光客で賑わう・・・それは夢の世界でもなかなか難しい。しかし500年前には「日本三津」とよばれ、日本でも有数の大きな港町として発展、また江戸時代には藤堂高虎32万石の城下町として、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と伊勢音頭にうたわれ、参宮に行き交う宿場町として賑わい、大きな安濃津城の近くでは休息をとる旅人も多かっただろう。
明治時代には津偕楽公園にて博覧会を開催、多いときには1日の入場者数が津の人口を上回る観光客でいっぱいになったという。
大正時代から操業を続けてきた東洋紡績は戦時中は軍需工場だったため、第二次世界大戦で爆撃を受けて破壊され、また中央毛織、倉敷紡績、中央整毛、近江絹糸などの工場もあり、産業面でも活気のある町並みを形成してきたが、戦後しばらくして大きな紡績工場は次々と消え、静かな町になってから50年が経過している。
「歴史は繰り返す」という言葉があるが、なにかのきっかけから津の町は先人たちが築き上げてきた、昔の賑わいを取り戻す気がしてならない。
                                


     
       津は観光地になれる!

1 静かなたたずまいを見せる高田本山
かつてはイベントや催し物が本山で開催されたときには、近くの一身田駅は乗降客であふれ、そのため乗客の安全のためホームへの通路に地下通路が建設されたが、その時の様子を知る人も少なくなってきた。
非公開の立派な庭園、国宝の指定を受けた本山は、寺内町とともに一体となった発展を望みたい。


2 津観音東側の公園に映像で表現できる会館と駐車場の建設
津観音東側の公園に地下駐車場を建設、地上には映像を主体にした建物を建設、若者にも人気のある企画を考えたい。

3 名松線にイベント列車の運行
イベント列車の運行については時々話題になるがまだ実現していない、つまり松阪、伊勢奥津間を運行し、昼食には山菜料理、北畠氏館跡庭園、霧山城址、三多気の桜を見学する。

 
4 榊原温泉でボーリング
県内には熱い湯が吹き出る温泉は少ないが、枕草子には日本三名泉のひとつである榊原温泉が紹介されている。ボーリングにより熱い湯が吹き出る温泉の出現に期待したい。
         
        
最近youtubeで「荒れ果てた名湯 榊原温泉街
」の動画をはじめてみた、多くの旅館・ホテルが廃業しているのを知りガッカリ・・・
5 水の流れる小川を商店街に
大門商店街に岐阜の郡上八幡や福島の大内宿のような水の流れる小川の建設をして鯉などを放流すると散策に自然に人が集まるようになる、水車の設置も最高。
 
   




6 津駅前に駅前花壇
津駅東口に大きなフラワーポットを配置、季節の花で駅前を飾ったら、これは容易にできる。
そして駅前北方向にある駐車場に本格的な花壇を設置したら、津には全国的に知られた植物園があり、植物園の適切なアドバイスを受け、木々の間からミストシャワーが降り注いだり、ジャスミンの香り漂う花のトンネルや、川のせせらぎを造れば観光客もやってきて・・

7 田んぼアート、花の迷路
とことめの里一志に田畑一杯に花が咲く光景をよく見に行ったことがある。そのシーズンには幅が広い歩道橋のような建造物を造り、その上からアートを観賞することになる。兵庫県豊岡市但東町では毎年たんとうチューリップ祭りを開催、チューリップアートを見ようと多くの観光客で賑わっているまたひまわり畑の中を歩いて出口をさがす迷路の遊びも最高。

8 五連水車
今ではすっかり見かけなくなった水車であるが、青山高原や経ヶ峰をバックに五連水車が動く様子を想像したい。
各地域の小川に水車を設置し、その近くに公園を造り水車の町としてアピールしたら・・・、戦前には各地域に水車が存在していたから。                                               
9 安濃津城の復元
全国には多くの城が存在し大切に保存されているが津には角櫓しかない。400年前に津の町づくりを手がけた藤堂高虎は伊賀上野城を戦いの城、安濃津城は居住の城としていたため天守閣はなかったが、津市には精巧な安濃津城の模型が展示されている。
明治時代に安濃津城の大きな外堀が埋められ住宅地となり、美しい石垣が築城されていた内堀の多くが第2次世界大戦のがれきで埋められたのは残念であるが、安濃津城の復元も忘れてはいけない。

 
   
10 海の玄関から陸の玄関へ
百五経済研究所は、2007年に津市内の市街地活性化策として次世代型路面電車(LRT)の活用を提案するリポートを公表した。
総合文化センターから津駅を経由して津なぎさまちを結ぶもので、「海の玄関」の津なぎさまちと、「陸の玄関」の津駅を結びつつ、官公庁や商業、文化施設をルートに盛り込んだものとなっている。(津なぎさまち、大門商店街、三重会館、市役所、竹内病院、鳥居町、県庁、津駅西口、美術館、博物館、総合文化センター)
LRTはヨーロッパ諸国で広く普及しており、鉄道と異なり道路から直接乗り降りでき、電車の床も低いため高齢者らに優しく、バスや自動車と異なり排ガスを出さないため環境にも優しいとされるが、この提案は大きな話題にもならず消滅してしまった。
総延長は6キロ。単線でも10分から15分間隔で運行できるといい、事業費は60億円から100億円程度と試算、導入には採算性や財源の問題が大きな課題となっているが、地域活性化などに大きな影響を与えるものと思われる。

  

上記の「津は観光地になれる!」は多額の財源が必要なので、コロナが収束したらシーズンには、津駅前から観光バスを運行、津の観光地、史跡を見学、また食品工場でお菓子作りを体験したり、植物園で美しい花を見たり、木の実を試食したりするツアーなどを企画して、全国から参加者を募集するのも津を知ってもらうために必要かも知れない。(交通費の一部は津市が負担して)                   
1 
香良洲神社潮干狩りの体験(焼き貝料理)、結城神社のしだれ梅
、観光イチゴ園
2  三多気の桜、北畠神社の春、秋の大祭を見学(山菜料理)、庭園、資料館、名松線区間乗車体験
3  石水博物館、総合博物館、美術館、総合文化センターの催物観賞(ウナギ料理)
4  醤油工場見学、高田本山(精進料理)、庭園、寺内町散策、植物園の見学
5  井村屋製菓、おやつカンパニーなど食品工場の見学、お菓子作りを体験
6  

 


・三重県では最近歩行者の賑わいや滞留機能を強化をするため、津駅東口の道路で歩道空間の拡張をイメージして、現状6車線の車道を4車線に 減少させる社会実験を実施している。

・最近高校生が「津駅前開発について」意見を述べている。それによると「津駅は近鉄、JR、伊勢鉄道が乗り入れ、大阪や名古屋に直結しているが、手軽に立ち寄れる場所がない、暗くて廃虚のよう、商業施設や外食店の充実、噴水や植栽、シンボルの設置」などの提案をしている。

・ある住宅メーカーによる居住満足度調査によると、三重県民が選ぶ「住み続けたい街」ランキングで「津市」が上位にランクされるようになってきた。
「津市」は県庁などの行政機関が集まり、温暖な気候と豊かな自然に恵まれた地域。東の海岸沿いには港町として栄えた市街地が、西側には山地が広がります。同市は国道や高速道路がある道路網はもちろん、鉄道網も充実。また、津港からは中部国際空港行きの高速船も利用できる。

・津駅は三重県を代表する駅に成長したが、駅と駅前の再開発は必要だ、また表口と西口を結ぶ新しい通路も。西口に隣接する神社の中を散策出来ると西口も今までとは違った雰囲気になるだろう。津には輝かしい歴史があるが、最近ではその歴史が忘れられようとしている。

・津駅前にはビジネスホテルが目立つようになってきたが、その中の1カ所はホテルの代わりに集客施設の建設をして、駅前が家族連れや若者で賑わう町づりをしたいという考えはなかったのだろうか。
ショッピングが出来るビルの建設をして、ビル内にファミリーレストランなどの企画も考えたらよかったのに。
近鉄特急が名古屋を出発すると次は津駅に停車し、次は大阪に停車という三重県を代表する津駅になったが、津駅前は静かな町として発展を続けている、先人たちはその時代に合った活気のある町づくりをめざしてきたのに・・・



           
地域の草花を植える取り組み
    
               

         
           
                     駅 前 花 壇        


津駅前に大きなフラワーポットなどを設置したり、津駅表口北側の駐車場に季節の花で駅前花壇を造ったら・・・
津には全国的に知られた植物園もあり、植物園の適切なアドバイスを受け、木々の間からミストシャワーが降り注いだり、ジャスミンの香り漂う花のトンネルや川のせせらぎを造ったりすれば遠くから観光客がやってきて・・・
  



             

                                       塩尻駅の駅前花壇
      
     
              
北上駅の駅前花壇



蒸気機関車が設置されている会津田島駅の駅前花壇




福島駅前の花時計



出雲市駅の駅前花壇

          
                 
     

茅野駅前のかえでの小径
  
                

  日本三津

鹿児島県南さつま市のホームページには、「黒潮が岸辺を洗う坊津町は、むかし唐の港と呼ばれ、伊勢の安濃津、筑前の博多津とともに日本三津(さんしん)とうたわれました。海に迫る山岳が多く、52kmにも及ぶ起伏の多い海岸線は、リアス式美観がひらけ、まるで唐画をみるように松の緑がしたたり、風変わりな岩礁が点在しています・・・」
またある書物には「津が安濃津と呼ばれたころ、伊勢参宮道は海沿いにあった・・・安濃津は中国まで聞こえた日本屈指の港町に発展する」と書いてあるが、ほんとうに大きな港町が津に存在したのだろうか。
昔の安濃津港は阿漕浦から結城浦のあたり、安濃川がこの付近に流れ込んでいた。砂洲が遠くに突出していて安濃の松原といわれ美しい眺めだったという、そして天然の良港だった。
しかし1498 年に発生した明応地震により津は大きな被害をうけ港は陥没してしまった。


     

     交易の様子を展示収蔵している輝津館(きしんかん)から
     みた
風光明媚な坊津
                
世界と九州をつなぐ国際港として大きく発展を続けている博多 


水のきれいな津の海

  日本三観音

全国各地に観音霊場はたくさんあるのですが、そのなかで「日本三観音」と呼ばれる3つの場所があります。
ひとつは東京都台東区にある金龍山浅草寺「浅草観音」。続いて名古屋市中区の北野山真福寺「大須観音」。そして三重県津市にある恵日山観音寺「津観音」です。
かつては伊勢参宮の行き帰りには「津観音」を必ずお参りしたという。

       

浅草観音
  

                      大須観音
       

津観音

  日本三名泉

清少納言の枕草紙117段に「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯とある」
津の榊原温泉は七栗(ななくり)の湯とも呼ばれ、平安時代には既に湯治場として整備されていたという長い歴史を持つ温泉でもあります


                      

  

美人の湯として評判の榊原温泉
     

  日本三武将庭園

室町時代、栄華を誇った伊勢国司・北畠氏の館があった地で、享禄3年(1530)に造られた津市美杉町にある北畠氏館跡庭園と滋賀県高島市朽木にある旧秀隣寺庭園、越前一乗谷朝倉氏庭園を加えて、三大武将庭園といわれています



                     

 

往時の面影を偲ばせている北畠氏館跡庭園 
    

 2007.11
日 本 三 津



津の町は古くは安濃津と呼ばれ港町として活気のある町並を形成してきた。中国の歴史書には坊津、博多津とならんで「日本三津」のひとつであると紹介されている。
ところでこのようなホームページを開設していることもあり、以前から博多と坊津を訪ねてみたいと思っていたが、ついに実現する日がきた。
10月22日朝早く自宅をでて大阪まで近鉄で、大阪から鹿児島へは飛行機、鹿児島からバスで枕崎へ、バスを乗り継いで坊津へ着いたのは午後3時だった。
坊津歴史資料センターを見学したのち、鹿児島にもどり夜行バスで福岡に移動、福岡市博物館と博多港ベイサイドミュージアムを見学した。

福岡市博物館では、福岡城築城400年を記念して、 黒田長政が用いた兜を紹介、また紀元1世紀に博多に「奴」という国があり、その奴国はすでに中国大陸との交流を行っていたことを物語る、国宝「金印」が展示されていた。博多港ベイサイドミュージアムでは博多港の変遷の様子がパネルで掲示されていた。現在の博多は世界と九州をつなぐ国際港として大きく発展を続けている、また外国船舶が停泊しているすぐ横を、高速船が行き来しているなど港は活気にあふれていた、その後JRで帰ってきた。

                

     津まつりに参加した坊津町久志太鼓踊り(平成18年10月)             坊津はJR枕崎駅からバスで20分

                                   

 
  伊勢はサミット効果で空前のにぎわいを見せている
 

    

大門商店街に立てられた看板



   新幹線が名古屋から津を通って大阪に向かう構想
   があることを始めて知った


      
    秘境駅で知られた比津駅

 家城、伊勢奥津間が不通になっていた名松線は
 28年3月26日に全線が開通した

  

 


       
        
     

城崎温泉近くの豊岡市但東町では、春に「たんとうチューリップまつり」を開催し、町おこしをしている、津もこのような催し物に取り組んだら・・・
   
         
           結城神社のしだれ梅
     
      
              北畠神社 春の大祭
               

高田本山・お七夜
           
     

          日本さくら100選にえらばれた三多気の桜
              
   
           

    太原公園
津市の下之川地区が管理する公園で、清水峠(下之川と宇気郷を結ぶ道)のほぼ頂上にある・・・道路は狭い

 
               
                                   


  三重県の津は日本で一番短い名前の町としてよく知られている。以前は津の海水浴場は夏になると県内や関西方面から多くの観光客で賑わっていたが、最近はめっきり少なくなってしまった。津には新幹線も通っていない、自然に吹き出る温泉もない、名所旧跡も少ないので活性化するのは困難かも知れない。
 しかし昔の津は繁栄していた。500年前の地震により港が陥没してしまったが、古代から室町時代にかけての津の港は貨物船の入港も多く活気にあふれていた。2005年2月17日に開港する中部国際空港にあわせて、津港から空港まで高速船が就航するため、港の新設工事が現在急ピッチに進められている。将来は昔のような活気のある港を取り戻すことが出来るだろうか。
 退職後はよく旅行に行くことがあるが、旅先ではどこも活気にあふれている。なんとかして津も活気にあふれた町にはならないものだろうか。
そんなことをいつも思っていると、たとえばテレビでタンチョウヅルが飛来したとのニユースを見ると津にも来たらいいのになあと思ったり、どこかでモノレールが開通したとの話を聞くと、津も駅前から繁華街の三重会館を経由して新しくできる津港まで新設してほしいと願ってしまう。また有名な人の記念館が建設され、連日多くの人が訪れているとの話を聞くと、空洞化した津の中心部に記念館を建設したら津の町が賑わうのになあと、およそ実現しそうにもないことも頭の中にうかんでくるから、これがまた楽しい。
 明治時代には津で博覧会が開催され賑わったという記録が残っている。愛知県でも2005年3月25日から6ヶ月間、愛・地球博が開催されるので津も近い将来、博覧会を計画してもらいたいと思う。
 もしこの計画が実現したら津市内は観光客であふれ、津は昔の賑わいを取り戻すだろう。そして津駅前から各パビリオンと高田本山、津城址、津観音、美術館、梅の花が咲く時期には結城神社のしだれ梅など見る定期観光バスも発着して・・・と考えていくと、夢ははてしなくひろがり今日もねむれない日が続くのである。
                             2004年2月21日       幾田宗男
       


         

昭和初期の津の観光地図であるが、昭和36年に乗客減少により廃止された近鉄伊勢線が掲載されていて懐かしい。
拡大すると津駅近くの部田駅、海水浴で賑わった津海岸駅も見ることができる、存続していたら津市内に9駅存在することになり、
津の活性化に貢献しただろう。



                                                                                               
                             
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