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津の町が観光客で賑わう・・・それは夢の世界でもなかなか難しい。しかし500年前には「日本三津」とよばれ、日本でも有数の大きな港町として発展、また江戸時代には藤堂高虎32万石の城下町として、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と伊勢音頭にうたわれ、参宮に行き交う宿場町として賑わい、大きな安濃津城の近くでは休息をとる旅人も多かっただろう。 明治時代には津偕楽公園にて博覧会を開催、多いときには1日の入場者数が津の人口を上回る観光客でいっぱいになったという。 また大正時代から戦前にかけては日本最大の紡績工場である東洋紡績津工場が船頭町にあり産業の面でも活気のある町並を形成してきたが、戦後は静かな町になってしまった。 「歴史は繰り返す」という言葉があるが、なにかのきっかけから津の町は昔の賑わいを取り戻す気がしてならない。 |
津は観光地になれるか? 「日本一短い町村名である津(地元では「つぅ」と呼んでいる)市は、2006年1月1日に10市町村が合併して新生津市(人口約30万人)が誕生した。三重県の県庁所在地であるため、商業・業務の集積はあるが、中心市街地の活性化が課題となっている。そんななかで、津は歴史・文化の宝庫であり、津も観光に力を入れている。 昨年11月に津の歴史的町並み等を現地交流事業の一環で視察した。これまでバス1台で日帰りできる地域には殆ど出かけ、三重県では亀山・関や伊賀上野、松阪、桑名、鈴鹿さらには伊勢(おはらいまち、河崎町)と多くの地を訪問したものの、津は現地交流事業66回目にして初めて行った地域となった。つまり、津は歴史・文化観光の対象としてイメージされない都市の一つである・・・・・ 今回、てんむす、いちご大福、たいやき、味噌かつ、ベビースターラーメン、肉まん・あんまんの発祥の地であり、名物がうなぎであることを恥ずかしながら初めて知った(「発祥」というのは、店によって色々言い分があるのだろうが)。 どの地域にも人が生活している限り、独自の歴史・文化はあるはずである。しかし、うまく掘り起こせなかったり、それが惹きつけるだけの物語を描けなかったり、仕掛けがなかったりしている。先の「発祥の地」も名古屋まで伝わってきていない・・・・・」 (株)都市研究所スペーシアが「津は観光地になれるか?」の論説をホームページに掲載している。 名古屋から津の町の観光にやってきて、日本三観音の一つである津観音、全国で5番目に大きな木造建築である高田本山、藤堂高虎32万石の津城址などの観光スポットを訪れたようだ、それにしても「津の町」の様子をよくとらえている。 |
津は観光地になれる! 津の町は静かな町より賑わう町がよく似合う、歴史は繰り返すということわざがあるが何かのきっかけから、昔の賑わいを取り戻してもらいたい。津が観光地になるにはどうしたらよいか考えてみた。 1 記念館を建設して、安濃津港を映像、模型で再現する 昔の津港は安濃津港と呼ばれ、南さつま市の坊津、福岡県の博多津(現在の博多港)とともに日本三大港として活気のある町並みを形成していたが、500年前の明応地震により安濃津港が陥沒してしまった、その港の痕跡は何も残っておらず、書物に記録があるだけである。 そこで津観音東側の公園に記念館を建設、その一階部分にバーチャルリアリティ(仮想現実)で当時の活気のあった安濃津港の様子を体験したり、港町や安濃津城、宿場町の様子を映像や模型などで再現する。 2 津観音地下に回廊の建設 伊勢参りの行き帰りにはかならずお参りしたという津観音であるが、善光寺や清水寺のような回廊を建設したら・・・ 津観音と回廊とは何も関係ないといえばそれまでだが、建設自体はそう難しい問題ではない。津観音近くの地下に人が入れるような土管を埋設して回廊を造り、土管の内部を板張りすればよい。 3 名松線にSLを運行 SLの運行については時々話題になるがまだ実現していない、つまり松阪、伊勢奥津間にSLを運行し、昼食には山菜料理、北畠氏館跡庭園、霧山城址などを見学する。すると終点の伊勢奥津駅ではSLの方向を逆にする転車台の建設も必要になってくる。 4 榊原温泉でボーリング 県内には熱い湯が吹き出る温泉は少ないが、枕草子には日本三名泉のひとつである榊原温泉が紹介されている。、ボーリングにより熱い湯が吹き出る温泉の出現に期待したい。
津駅東口に大きなフラワーポットを配置、季節の花で駅前を飾ったら、これは容易にできる。 そして駅前北方向にある駐車場に本格的な花壇を設置したら、津には全国的に知られた植物園があり、植物園の適切なアドバイスを受け、木々の間からミストシャワーが降り注いだり、ジャスミンの香り漂う花のトンネルや、川のせせらぎを造れば観光客もやってきて・・・ 7 田んぼアート、花の迷路 とことめの里一志に田畑一杯に花が咲く光景をよく見に行ったことがある。そのシーズンには幅が広い歩道橋のような建造物を造り、その上からアートを観賞することになる。兵庫県豊岡市但東町では毎年たんとうチューリップ祭りを開催、チューリップアートを見ようと多くの観光客で賑わっている、またひまわり畑の中を歩いて出口をさがす迷路の遊びも最高。 8 五連水車 今ではすっかり見かけなくなった水車であるが、青山高原や経ヶ峰をバックに五連水車が動く様子を想像したい。 インターネットをみると、温泉のボーリングは1mの穴を掘るごとに10万円が相場となっているうえ、約1,000mは掘る必要があるため単純計算で1億円かかる、また五連水車はその制作に関わる会社が広告を掲載していて、大型水車は直径 3m 670,000円であるが、そのほかに設置にかかる経費がいるものと思われる。 各地域の公園に人工の水の流れる川を造成し、いろいろな水車を一基ずつ設置し、水車の町としてアピールしたら・・・、戦前には各地域に水車が存在していたから。
百五経済研究所は、2007年に津市内の市街地活性化策として次世代型路面電車(LRT)の活用を提案するリポートを公表した。 総合文化センターから津駅を経由して津なぎさまちを結ぶもので、「海の玄関」の津なぎさまちと、「陸の玄関」の津駅を結びつつ、官公庁や商業、文化施設をルートに盛り込んだものとなっている。(津なぎさまち、大門商店街、三重会館、市役所、竹内病院、鳥居町、県庁、津駅西口、美術館、博物館、総合文化センター) LRTはヨーロッパ諸国で広く普及しており、鉄道と異なり道路から直接乗り降りでき、電車の床も低いため高齢者らに優しく、バスや自動車と異なり排ガスを出さないため環境にも優しいとされるが、この提案は大きな話題にもならず消滅してしまった。 総延長は6キロ。単線でも10分から15分間隔で運行できるといい、事業費は60億円から100億円程度と試算、導入には採算性や財源の問題が大きな課題となっているが、地域活性化などに大きな影響を与えるものと思われる。 |
![]() 津駅前に大きなフラワーポットなどを設置したり、津駅表口北側の駐車場に季節の花で駅前花壇を造ったら・・・ 津には全国的に知られた植物園もあり、植物園の適切なアドバイスを受け、木々の間からミストシャワーが降り注いだり、ジャスミンの香り漂う花のトンネルや川のせせらぎを造ったりすれば遠くから観光客がやってきて・・・ 塩尻駅の駅前花壇 |
北上駅の駅前花壇 |
蒸気機関車が展示されている会津田島駅の駅前花壇 |
福島駅前の花時計 |
出雲市駅の駅前花壇 |
![]() 茅野駅前のかえでの小径 |
日本三津 鹿児島県南さつま市のホームページには、「黒潮が岸辺を洗う坊津町は、むかし唐の港と呼ばれ、伊勢の安濃津、筑前の博多津とともに日本三津(さんしん)とうたわれました。海に迫る山岳が多く、52kmにも及ぶ起伏の多い海岸線は、リアス式美観がひらけ、まるで唐画をみるように松の緑がしたたり、風変わりな岩礁が点在しています・・・」 またある書物には「津が安濃津と呼ばれたころ、伊勢参宮道は海沿いにあった・・・安濃津は中国まで聞こえた日本屈指の港町に発展する」と書いてあるが、ほんとうに大きな港町が津に存在したのだろうか。 昔の安濃津港は阿漕浦から結城浦のあたり、安濃川がこの付近に流れ込んでいた。砂洲が遠くに突出していて安濃の松原といわれ美しい眺めだったという、そして天然の良港だった。 しかし1498 年に発生した明応地震により津は大きな被害をうけ港は陥没してしまった。 |
交易の様子を展示収蔵している輝津館(きしんかん)から みた風光明媚な坊津 |
世界と九州をつなぐ国際港として大きく発展を続けている博多 |
水のきれいな津の海 |
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